手相鑑定術/西洋占星術との関係

2020年06月23日

「手」の不思議

手相鑑定/占いは「相術」という占術に分類されるというお話を前回させていただきました。では、なぜその相術のなかで、手相鑑定術だけがこれほどまでに人気なのか考えてみましょう。

皆さんは「手は体の外に出た脳である」という言葉はご存知ですか?
手は人間の進化にとって最もなくてはならない器官です。他の動物よりも上手く「手」を使えたからこそ、地上において最も繁栄した種族になれたことは言うまでもありません。
古代人たちもその不思議さ―人間だけが「手」をうまく扱えること―に畏敬の念と同時に呪術的なものを感じていたようです。
それは先史時代の洞窟壁画のモチーフの多くは動物や狩りのほかに、「手」であったことから窺い知ることができます。古代エルトリア人は死者の埋葬に手の彫刻を遺体の傍らに置いたほどです。つまり「手は魔術的象徴である」というのは多少の違いがあるにせよ世界共通の認識だなのでしょう。
この「手のモチーフ」は世界のあらゆる場所で、儀式や護符・幸運のお守りとして今でも信仰されています。この信仰が無意識的に手相術への人気に繋がっているのかもしれません。 

古代手相術

古代人間が抱いた「手」への関心は、次第に占術的・魔術的な要素を含んでいきます。
「この線がある人間は、こういう性格だった」
「こんな手の形をした人間はこういう傾向があった」
「この線の組み合わせの人間は、こんな一生を終えた」
占術師たちは誰に習うともなく、手の形と掌のふくらみや線に神秘的なものを感じとり、これを読み解こうとしました。
「なぜ権力を掴んだ人にはこの線が出ていることが多いのだろう?」
「同じような掌をした人は、こんな病気になった」
こうした情報の蓄積から起こった古代手相術は、あらゆる国の文化や宗教観を取り込みながら、その地域独自の解釈を持つ占いとして自然発生していきます。

なかでもヨーロッパ、インド、中国といった長い歴史と文化を持つ地域では、気が遠くなるような長い時間を掛けて、この手相術を完成させてきました。
ヨーロッパでは紀元前4世紀に活躍した哲学者アリストテレスが手相術に関してその著者「動物誌」なかで触れていたり、古代ローマのプリニウスや皇帝ハドリアヌスが手相を鑑定してもらったことが記されているなど、その逸話には事欠きません。

また、インドではさらに遡ること紀元前600~200年の間に成立したといわれる「ヴァシシュタ法典」という律法書に既に手相術に関する記述が発見されています。もちろん、そのころの手相術がどのようなものであったかは残されてはいませんが、現代にまで脈々と受け継がれていることは疑いようがありません。

占星術との融合

ヨーロッパとインド・イスラム文化はアレキサンダー大王の東征、十字軍、ヘレニズム、ルネサンスなどにより、しだいに融合されていきます。
手相術もしだいにその影響を受け、その思想は洗練されていきます。なかでも顕著なのは占星術との融合です。天の運行から人間や物事の運勢を占う占星術の考えは、掌でも展開されるものと考えられたのです。

「上の如く、下も然り」というのは魔術の原則です。星や天体の運行によってその下にいる人間の運命が決定するのであれば、下の人間の行動も天に影響を及ぼせるのではないか。天の運行と地の人間がリンクしているのであれば、人間のある一部分(掌)は、その人の運勢が読み取れるはず、というのがその理論の根底にあります。

この占星手相術が現代に継承された手相鑑定術の基盤となっています。それは掌線や丘、掌印の名前に色濃く表れています。木星丘や土星丘、水星線や太陽線、金星帯や火星平原など、掌の上には多くの天体が展開されています。この相の形状が、天で運行しているあなたの運勢とリンクすると近世~現代の手相術師たちは考えたのです。今ではこの占星術的論理こそ主流ではありませんが、その影響は名称に色濃く残っています。